2017年01月23日

父の七回忌

どんと祭の次の日、1月15日の日曜日、父の七回忌を執り行いました。

三回忌が終わってしばらくゆっくりだな〜と思っていたら、あっという間に6年経過ですか。
東日本大震災の直前に亡くなっているので、あれからもう何年というのがわかりやすいです。

今回は、母方の親戚は呼ばずに、父方の親戚と私たち家族だけで、こじんまりと行いました。
だんだん、親戚も高齢化していて、あまり無理にお誘いしても大変ですから。

ちょうど大寒波が日本列島を襲い、しかもセンター試験と重なる週末で、
あちこちで大雪の影響があったようですが、たまたま仙台は大雪にはならず助かりました。

法要の前日は晴れて、妹とお墓掃除をしたり、法要に必要な花やお供え物等の買い物も
滞りなく済ませることができました。引き出物も事前に準備済みです。

深夜に少しだけ雪が降り、当日朝は1cm程の積雪となりましたが、
朝から晴れて、気持ちよい青空となったのは、本当に良かったです。

10時からお寺で法要でしたが、雪だったせいか、皆さんとても早く到着されて、
9時半には到着していた様子。我が家が一番遅くお寺入りしたのでした。
(といっても、15分前には入ったけど)

本堂に、お花とお供え物を飾り終えると、すぐに七回忌法要が始まりました。
皆さん揃ったので、10時まで待つこともないし、何より寒いですからね・・・。

ご住職の唱えるお経を聴いていると、最初は般若心経でした。
なるほどこういうリズムやタイミング、伸ばし方もあるんだなと思いつつ、聴いておりました。

そしてお焼香です。まずは家族から。
私は二番目。順番を待つ間、なぜかにこにこ顔になる自分。なぜでしょうか、嬉しい気持ち。

家族、そして親戚の焼香が続く中、ご住職のお経に耳を傾けると、「ねんぴーかんのんりき」と。
あ、このお経は、なんというタイトルか忘れたけど、御霊様が喜ぶというお経だ!
ああ、こういう時に唱えてくださるお経なのねと一人納得。

今確認しました。「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈(ふもんぼんげ)」というお経です。
法華経(ほけきょう)、つまり妙法蓮華経は8巻28品に分かれ、「観音経」はその中の25番目。
それがこの普門品偈だそうです。「かんのんりき」とは「観音力」です。
観音様のお力で、救っていただくということなのかな。

(いいお経を唱えてもらって、みんなにお焼香してもらって、父も幸せだよね〜)と考えていたら
最後のお焼香が終わったと同時に、胸の中が何とも言えない嬉しい気持ちになって
うっすらと涙ぐむ感じになりました。

あれ? もしかしてこれは、父がここにいて、気持ちを投影してきたのかな?
「みんな、ありがとう」ということを伝えたかったのかなと感じた出来事でした。

本当かどうかは問題じゃなくて、そう感じたので、きっとそうだと思う。それでいい。

法要が終わり、みんなでお墓参り。積雪はなかったけど、やや風が冷たかったです。
お墓用の花は、春を先取りした花束。桜の花、チューリップ、菜の花などが綺麗。
みんなにお線香あげてもらってよかったね。

その後は、会席まで時間があったのでちょっと自宅でお茶飲み。
そして、自宅から近めの仕出し料理店で、法要会席をいただきました。

新しくできたお店で、初めて利用したのだけど、料理の味付けや盛り付けがとても素敵で、
品数も多かったし、持ち帰り用のプラパックも最初から準備されていたし、良かったです。
お年寄りが多かったので、机に椅子というのも評価が高い。
天つゆも、着席してから、温かいものが運ばれてくる気遣いがあり、次回も利用しようと思いました。

そのお店で解散。11月頃から準備していた七回忌法要、無事に終わって一安心です。

そして、1月20日の命日は平日でしたので、5時に起床して真っ暗な中、一人でお墓参りに。

すでに本堂には灯りがともっています。でも駐車場には私の車だけ(当たり前か)。
真っ暗な中のお墓参りは怖いように思えますが、これが全然怖くないのですよ。

前日に用意していた、多めの果物やお菓子をお供えして、線香に火をつけます。
雲が張り出していましたが、隙間から下限の月と、右横にひときわ明るい星が出て、
私の手元を照らし出してくれたような気がしました。

果物とお菓子の香りが充満して、お線香の煙ももくもくです。
死んだ方は香りしか楽しむことができないと聞いてますので、父も味わってくれたかな。

温かいお茶の残りをいただいて、お供え物はすべて森の中へ。施餓鬼供養としました。

これで、本当の意味で七回忌を終えることができました。今年の一大イベント、終了。

次は、十三回忌、あと6年後です。みんな元気でいられますように。
 

posted by しゃーしゃん at 22:18| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

父の五回忌

もう2月ですね。1週目が終わってしまいました。

今年の節分は、珍しく家に帰宅してから始まったので、
自分は投げてないけど、夫と次男の後ろをついて、
各部屋と窓の外へと豆まきした気分を味わいました♪

次はバレンタインデー、ひな祭り、お彼岸と色々続くうちに、
いつの間にか春に移行するのでしょうね。

最寄り駅でも、春の花が映りこんだ旅のポスターもちらほらあり、
もうすぐ春が来るんだなあ〜とほっこりしました。

さて、世界規模で悲惨な出来事が起こり続けていますが、
私の心の中の湖は、常に凪ぎの状態でいられたらと思います。

というわけで、いつもの私らしく、通常運転のこのブログ。
過ぎてしまったけど、これをやはり記録しておかないと、と思い、
父の命日のことを書きます。



1/20は父の命日です。もう丸4年経過しました。五回忌ですね。

東日本大震災と同じ年、震災が来る一ヶ月半前に亡くなったので、
何年経ったのかがわかりやすいです。

五回忌での法事は特にしないので、今年は家族だけでこじんまりとでした。

今年の1/20は平日なので、直近の日曜日に家族でお墓参りをしてきました。
もちろん東京から妹も駆けつけてきましたよ。長男は来ないけど。

その日はよく晴れましたので、お墓参りも順調にできました。

前日に薄く雪が降ったので、先に夫と次男がお墓に行き、雪かきと掃除をして、
私と妹と母は花とお供えものを買い物。

お墓は東向きに建ってるので、雪は日差しを受けて溶けてくれてました。
でも花挿しの水はまるっきり凍っていたそうです。
西向きのお墓は雪がこんもり残って、こんなに違うんだな。

5人でお線香あげて、拝みました。
カラスが散らかすので、お供えしたお菓子などはその場でみんなで食べきります。
なので、お墓にはそんなにたくさんはお供えしないです。

帰宅してから、仏壇にはおまんじゅうやどら焼き、大福、果物などをお供えしました。
父は甘いものが大好きだったので、和菓子は欠かせませんね。

その日の夜は、珍しく奮発して、お寿司を注文して食べました。
父の分も注文して、仏壇にお供えしましたよ。
思い切りなまものですけど、好きなものをお供えするってことでいいでしょう。

仏壇のある部屋には、酢飯の香りがすごく漂ったので、父にも届いたことでしょう。
一時間ほどしたら下げて、私たちで少しずついただきましたよ♪



命日当日は、火曜日だったので普通に仕事です。7時半過ぎには出なきゃならない。

日曜日にお墓参りして、お供えもしたものの、やはり命日は命日なので、
きちんと供養をしたいという気持ちがありました。
東京に帰った妹からも、その日もお墓で線香をあげてと言われてましたし。

というわけで、朝5時過ぎに起きましたよ。
風が強すぎたのとあまりに真っ暗だったため、まずはお膳作りを始めました。
煮物ときんぴらごぼうは事前に作ってあったので、ほうれん草のお浸しと、
父の好物のネギ入り卵焼きと、なめこの味噌汁を作りました。

それから、白玉粉でお団子を作りまして、あんことくるみあんの2皿をお供え。
白玉粉は頂き物ですが、非常に上質で、できあがりが素敵。
賞味期限過ぎていたけど許してくれ、父。未開封だったしね。

日曜日に前倒しでお供えした日本酒を下げて、新しくお供えしました。
一ノ蔵ですよ〜

そうこうしていると、外が白み始めてきたので、6時20分頃に家を出て、
お墓に行ってきました。少しだけお線香をつけて、般若心経も唱えてみました。
父のために、般若心経を唱えたのは初めてかもしれないです。

お墓参りの間は、風が止んで助かりました。
しんと冷え切った空気の中で、空がだんだんと色づく。無音の時。

帰り際には、たくさんの仏像やお地蔵さまに軽く挨拶。

すぐに帰宅して、炊きたてのご飯をよそい、仏前にお膳をお供えしました。

あとはいつものように、家族の朝ごはん作って、お弁当作って、
時間ないので味噌汁だけ飲んで、身支度して、出勤しました〜。

やることはやった、という朝でした。父も喜んでくれたと思います。
 
posted by しゃーしゃん at 00:22| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月20日

父の三回忌でした

本日は父の命日で、三回忌法要を行いました。

父方・母方の親戚にもたくさん来ていただき、
総勢15名+ちびちゃん1名で、父を偲ぶ時間を作れました。

一周忌の経験があったので、わりと余裕で準備をしてきましたけど、
それでも11月半ばあたりから、どうしようかなあ〜って。

夫や母にも相談しながら、でも結局は一番妹と相談して決めましたね。

お寺との日程調整は夫にお任せ。
親戚への連絡は私。
法事会席のお店リサーチと予約と人数確定は私。
会席の価格は夫と一緒に決めました。
引き出物のリサーチと購入は私。
お寺へ持っていく物の確認と準備は私。

前日に妹が来たので、
引き出物の一つのお菓子をお菓子屋さんに一緒に受け取りに行き、
親戚向けお茶菓子と、お寺のお供え用と、お墓のお供え用のお菓子も購入。

花屋さんへ行き、本堂に飾る花と、仏壇用とお墓用の花を購入。
もちろん一対ずつ買います。お花だけでほぼ1万円〜。

こういう時に必ず行く花屋さんで、目的を告げるととても綺麗に作ってくれます。
わからない時もアドバイスくれるし、必要以上に高く売らないし。
本堂に飾るお花は、スーパーの花屋さんでは無理ですね。
ちなみに、本堂では、花が開いていて豪華な人目を引く色のものが良いそうです。
逆に、お墓と仏壇は、長く飾っておけるように、つぼみ多めが良いです。

そして、最近大雪が続いていたので、墓掃除をしに夕方お寺へ。
念のために雪かきスコップと、ぞうきんと、ほうき・ちりとりを準備。
そしたら、山あいということもあり、墓前の通路が雪に埋もれて
墓に到達できないくらいになってました。

私はスコップで道を作るために雪かきをして、
妹はお墓周りの雪をちりとりですくって掃除。
一時間ほどで、ようやく綺麗になりました。

念のために前日行ってよかったです。
当日このままでは、線香もつけられずとなるところでした。

妹にはこの他にも、お菓子・お茶のセッティングや座布団準備、
母の世話などもお任せで、とっても助かりました。
やっぱり、一人では無理だし、夫だと細かなことは難しいし。

今日も早起きして、細かなスタンバイをみんなでやって、
10時には自宅を出発。

お寺での法要も滞りなく、早めに終わり、
お墓ではみんなにお線香をあげていただきました。

お寺の和尚さんはとっても気さくで、
あまりこだわりがないので好きです。
お布施とかもどれくらいなのか聞いても、
いつも「気持ちでいいから」としかいいません。

今日も本堂に飾る果物とお菓子を、
右と左のお皿のどちらに載せるべきか聞いたら、
「右が果物で左がお菓子かな。まあ、どっちでもいいんだけど」と。
いい意味で形式にこだわらないです。

和尚さんには顔も覚えてもらってるので、同じ地域ですし、
細く長くよいおつきあいができればと思ってます。

墓参りが終わり、そのまま会席のお店へ。
親戚が集まるといっても、結婚式などの祝いの席とも違うし、
ほぼ車で来ていただいているので、アルコールを飲む人は少ないです。
なので、わりと静かな会席の場でした。

食事しながら、ある方が
「(父)がまだ生きているように思うんだよね〜。そういうふうに感じる。」
と言ってくださったのが、印象的でした。

あれから丸2年経つけど、そう感じる人もいるんだな〜と。
嬉しいような、不思議な気持ちです。

料理は、彩り・分量もちょうどよく、味も美味しかったです。
皆さん、ほとんど食べてくれて、よかった。

母方の親戚とはそのまま別れて、父方の親戚は自宅へ来てもらい、
お茶タイムでほっと一息。

私はずっとお茶やコーヒーを出したり、お菓子を配ったりと、
お茶出し係に徹しましたね。
大きなポットのお湯が2回分なくなるほどでした。

そして15時にようやくすべて終了。
みんなお疲れ様でした。

次は7回忌になりますけど、その時はもっと縮小して、
父方の親戚だけを呼ぶくらいでいいかな〜。
呼ばれる側も大変ですからね。

ふう、今年のビッグイベント、無事に終了しました!
 
posted by しゃーしゃん at 22:05| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月15日

お墓ができました

父が他界してから、約1年8ヶ月が経ちますが、
ようやくお墓が完成しました。

命日が1月ですが、四十九日直後の3月に東日本大震災があり、
もうお墓を検討するような状況ではありませんでした。

ひどかったですからね、お墓の散乱具合が。
クレーンでしか持ち上がらない墓石が、簡単にふっとんで
隣の墓の位置にあったり、通路に横たわっていたり。
いかに地震のエネルギーが強かったか、です。

墓石屋さんも相当忙しい日々が続くだろうな、ということと、
作ってすぐにまたひどい余震が来て壊れたら嫌だなと思い、
一年以上経ってから検討し始めました。

母と夫と私と妹の四人が納得する墓にしたいので、
最初の検討は、妹が帰省してくる5月の連休でした。

その時はバイパス沿いにある石屋さんを色々と眺めて
今どきの相場とか、墓の形とか、石の種類などを
基礎知識として仕入れただけ。

で、その後は忙しくてなかなかお墓の検討自体を進められる状況じゃなくて
停滞していたのだけど、さすがにお盆か、秋のお彼岸には間に合わせたいよね、となり、
6月の最終週に、近所の墓石屋に行って、具体的な話を聞きました。

そこは近所だし、うちのお寺の御用達のお店だし、父のことも知ってるし、で、
メンテナンスとか今後のことも考えたら、やっぱりそこがいいかなと。
費用も良心的な価格にしてもらえるし。

7月上旬にちょうど妹も仙台に来たので、一緒にお店に行って、
石の種類とお墓のデザインをみんなで決めて、正式に注文。

和尚さんも地震の後に話していたけど、揺れに強いのは
横向きだそうです。従来からの縦に長い墓石は弱い。
なので、私達も横向きのデザインにしました。
石の色は、真っ黒ではなく、一歩手前のグレーに。
グレーにも色々あるけど、一番濃い種類にしました。

確か石はインド産で、加工は中国で行うとか。
7月に注文すると、お彼岸前に出来上がるとのこと。

そして、今月に入って、お墓ができたとの連絡があり、
とりあえず父の眠る墓の場所に行ってみたら、
なかなか立派にできあがっていました。

今どきは好きな言葉を彫ったり、花の模様を彫ったり、
カラーをつけたりもできるそうですが、
うちは、墓石に〇〇家と彫り、あとは花立ての手前の石に
家紋を彫っただけのシンプルなものにしました。
でも、それでいいんです。何年もそこにあり続けるものだし。

そして今日、墓石に対して御心入れ(おしんいれ)をしてもらいました。
新しく買った仏壇や位牌に対しても御心入れをしましたが、
お墓にも必要みたいですね。

モノにいのちを吹き込むための儀式のように思います。
お墓も作っただけではただの石なんでしょうね。
私はこけら落としに参加する気分でした。

花を飾り、水とお茶を供えて、お菓子と果物を供える。
線香に火をつけて、和尚さんに拝んでもらいました。

筆ペンを用意して、といわれたので、何に使うのかなと思っていたら、
筆ペンを持ってお経を読み始め、筆ペンを持ちながらぐるぐると
大きく腕で円を描き、そのペン先を〇〇家と彫られた最初の文字に
ちょんとつけたようです。

・・・ようです。と書いたのは、自分が和尚さんの真後ろにいたので、
そこを見ていなかったから。夫や子供達から聞いて知りました。

つまり、だるまの目入れ、みたいなものなのかしら?

そして、お経を読んでいただく傍らで、自分達もお線香を上げて、
いのちが吹き込まれたお墓に手をあわせました。

あとは、供えたお菓子や果物をその場でみんなで食べて帰りました。

本当に、ようやく、お墓を買って、作ってもらって、完成となり、
安心しました。こんな経験、そう何度もできないでしょう。

墓地の面積が狭いので、メインのお墓と法名碑だけを設置しましたけど
本当にそれでいっぱいになりました。余計なものがなくてよし。
狭いがゆえに、横向きの墓石でバランスが取れていい感じです。
どっしり収まったというか。

長い間の懸案事項が片付いてスッキリです。

お彼岸には、親戚にお墓のお披露目ですね〜。
一生懸命、磨こうと思います。
 
posted by しゃーしゃん at 23:30| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月22日

一周忌 〜番外編〜

前記事に書き忘れたことあるので、ちょっと付け足しますね。



法事の会席は、松島湾が見えるお部屋でした。

私や夫は海を背にして座ってましたが、子供達は海が見える向きに。

食べ終わる頃に、長男が
「あのさ、海がすごく綺麗だから、あとで写真撮っていいかな?」
と聞いてきました。

「別にいいんじゃない?」
「水面がすんごいキラキラ光ってるからさ〜」

食べるのに一生懸命かと思いきや、自然にも目を向けていたのね。

帰りはバタバタとしてしまい、結局撮影し損ねたようですが、
いつまでも、その感性を大事にしてほしいなと思いました。



人は亡くなると、四十九日で成仏するというのは仏教の考えですね。

四十九日は、初七日から七日ごとに閻魔大王に受けたお裁きにより
来世の行き先が決まるもっとも重要な日だそうです。

なので、故人の成仏を願い極楽浄土に行けるように、
家族や親族のほか、故人と縁の深かった方々を招いて法要を営むわけです。
もちろん、それまでも七日ごとに、家族は願いを込めて供養をします。

ここからは、以前、行きつけの美容院の店長さんから聞いた話です。

新しい命が母親のお腹に宿り、この世に生まれてくるまでは
俗に十月十日(とつきとおか)かかると言われています。

四十九日で成仏した魂が、来世の行き先が決まり、
また新しい命として十月十日お腹にとどまり、生まれてくる。

四十九日と十月十日を足すと、ほぼ一年になりますよね。

一周忌と重ねて考えると、なかなか面白いと思いませんか?

もしかしたら父もまた現世のどこかで赤ちゃんとして生まれてきてるかも?

う〜ん、でもせっかく極楽浄土へ行けたなら、しばらくゆっくりと
両親や兄弟たちと楽しい日々を過ごしてほしい気もします。



この週末は雪も降って寒かったです。
久しぶりに積もって、雪かきもしました。びちょびちょ雪で重かった。

明日は新月。真剣に何を祈ろうか。

はい、今日はここまで。
 
posted by しゃーしゃん at 22:46| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月21日

喪が明けました

12月からずっと準備してきた、父の一周忌法要。

命日は1/20ですが、その直前の先週の日曜日に一周忌法要を行いました。

1月に入ってから、ずっと平均気温が低く、時折雪も降る季節。
当日は雪だけは降らないでほしいと願っていたら、
とっても良いお天気になりました。

朝早く起きて、朝食作って食べて、急いで準備。
私はおだんご作り。本堂とお墓にお供えします。
親戚が来るので、ほうれん草のお浸しや漬物、お茶菓子、
茶器やおしぼりなどバタバタと、妹と一緒に準備。

お墓に持って行く水とお茶、花、お菓子、線香なども準備OK。
本堂に供える花、お菓子、果物もOK。

花は前日に、信頼できる花屋さんへ。
初めての法事なので、どんな花がいいのかわからず
本堂用と仏壇用にとお願いしました。

本堂用には華やかで、豪華に咲いている花が良いのだとか。
お寺によってはお経が終わるとすぐに片付けてしまうところも
あるらしく、つぼみがないように花束を作るのだそうです。
逆に仏壇用は、長く楽しめるようにつぼみをたくさん入れます。

皆さん、知ってました? へえ〜って思いましたよ。
やっぱりこういう時はちゃんとした花屋が一番ですね。
何も知らなければ、手軽に済まそうとすれば、
スーパーの花屋で値段に見合った適当なものを買ったかもしれない。

あ、お墓用には直前まで仏壇前に飾っていた花を持っていきました。
まだまだ元気だったので。

引き出物のお菓子は、事前に「仙台菓匠 宮城野」というお店に注文。
http://www.miyagino.jp/

仙台みそケーキのお店といえば、知ってる人もいるかな。
防腐剤なしで日持ちがしないけど材料も良く美味しそうなどら焼きをセレクト。

前日にそれを受け取りがてら、お客様へのお茶菓子とお供え用のお菓子も
買いました。どれも美味しそうだけど、自分は結局一個も食べてない(^。^;)

でもついでに買った窯出しシュークリームがめっちゃ美味しかった!
賞味期限は4時間ですってよ、奥様(笑)
シューがサクサクでちょこっとナッツ感もあり、クリームがとろーりで。
時間経ったらサクサクがなくなっちゃうもの。その賞味期限もわかるわ。

引き出物のメインはタオル類にしました。一週間前に藤崎のホットマンへ。
http://www.hotman.co.jp/index.html

ガーゼのタオルが珍しくて、桜の花をモチーフにしたものにしようとしたら、
法事の引き出物なので、抑え目のカラーが良いと助言をいただき、
同じガーゼタイプでシンプルなものにしました。
バスタオルとハンドタオルのセットにして、家族誰でも使えるように。
危うく空気読めない柄物セレクトになるとこだった。
http://www.hotman.co.jp/online/brand_101.html

さて、10時前から親戚が集まり、揃ったところで皆でお寺へ。
玄関の外には塩と水筒とコップも準備しておいて。

寺についたら急いで花を花瓶に飾り、お菓子と果物、お団子も供えます。
どうやら他の法事も続けてあるみたいで、結構人がいました。

10時半から本堂で住職と息子さんの二人で読経が始まりました。
なんか思ったより短くて、10分くらいで終わりました。
次の方達もすぐに始まってたから、15分刻み??
小さなお寺さんなんだけど、重なったんだろうな。

夫から住職へお布施とお膳料を渡してもらい、
卒塔婆とだんごだけ引き取り、すぐにお墓へ向かいます。
子供達に水を汲んでと命令(笑)

まだお墓がないので、墓掃除はできないのですが。
正月に供えた花を取り去り、新しい花を供えます。
コップと湯のみの中身が凍ってました。
湯のみは氷のせいでひびが入ってしまってた。

新しい水と温かいお茶を入れて、みんなで線香を上げました。
親戚が一気に墓の周りに集まると狭いです。元々狭いとこだし。
みんなで少しずつ、供えたお菓子やだんごを食べて終わり。

うちに戻って、お昼まで時間があるのでお茶を出しておもてなし。

今回の法事会席に選んだお店は、松島湾に面した「田里津庵」です。
http://www.ichinobo.com/taritsuan/

本当は近所で手ごろなお店があればと思ったんですが、
以前お食い初めで使ったお店が震災以来やってなくて、
焦って探し回りました。案外と法事会席やるような店ってないもんです。
寿司屋も考えたけど、わりと小さなお店ばかりで今回はパス。

田里津庵は、海沿いですけど高台で島々の奥にあるため、
震災や津波の影響をそんなに受けなかったようです。
でも今は縮小営業で、11〜16時しか開いてません。
メニューもコース2通りだけ。

電話で何度かやり取りしたんだけど、9〜16時までの問い合わせなので
はっと気づくと17時なんてこともしばしば。
牡蠣のカンカン焼きは見栄えがどうかなと思ったので、牡蠣鍋に変えてもらったりと
結構融通は効きました。刺身はなくてカルパッチョ風サラダなのが気になったけど。

車で30分ほどでお店到着。お昼なのでお客さんも一杯で、常に待合所にも人がいました。
決して安くはないのですが、やっぱり来るんだねえ。

個室は予約できなくて、大広間と聞いていたのですが、
以前と変わり、ALL畳ではなくて、テーブルと椅子に変わっていました。
年配の方はそのほうがいいのかもしれない。

全員席について、飲み物の準備が整い次第、夫に簡単に挨拶してもらい、
会食スタート。食事の内容はなかなか良かったです。
なぜかカルパッチョではなくて、刺身になっていたし。配慮してくれたのかも。
牡蠣が随所に出てきたけど、ちょっとまだいつもの美味しいぷりぷりの牡蠣とは
違った気がしました。やっぱりまだ松島の牡蠣は戻ってないのかもなあ。

それとちょっと担当のオペレーションがよくなくて、待つ時間ができたり、
少し冷め加減なものが供されたりとで、ホストとしてはちょっと減点だったかな。

食事途中で妹と車に戻り、引き出物を持ってきて、皆さんに配りました。
そしてデザートも出て、会食は終了。

母方の親戚とはそこで別れ、父方の親戚と家に一緒に戻り、
更にお茶の時間を過ごし、やっと全部終わりました。

無事に終わって安心と同時にすっごく疲れました。
もうね、面倒だったのと昼が豪華料理だったので、夜は袋のラーメンにしましたよ。

で、その後、母と妹と女三人で、ビール&日本酒でプチ打ち上げ〜。
母もおつまみ食べながら楽しく飲んでました。

母によると、その日の早朝、何か天井付近で音がしたので、
「ああ、お父さんが来たんだな」と感じて、「わかったから」と言ったら
音は止んだそうです。隣に寝ていた妹は全くわからず(笑)
私もその時間帯に起きてたから、「私の足音じゃないの?」と聞いたら
「そういう音じゃない」という。まあ、みんな来るから父も来たんだろうかね。

酔うほどの量は飲まなかったけど、次の日の仕事は身体がぐったりで、眠かったです。


そして昨日は本当の一周忌。命日です。

私も夫もそれぞれ休みが取れたので、母と三人でお墓参りに行きました。
お茶とお水と湯のみと線香とお菓子を持って。花は先週のがまだあるからいいよね。

・・・と見てみたら、どなたか綺麗に掃除してくれてまして、湯のみなども伏せてありました。
湯のみはついに底が抜けていた。その後も凍ったんだろうな。
お寺で誰かに定期的に掃除を頼んでいるようです。花もなくなってました。

線香を上げ、その場でお菓子を食べて、お墓参りは終了。

もう一年経ったのですね〜。本当に早い。
「父のいない家」の密度が徐々に薄くなってきて、
「5人で暮らす家」に少しずつシフトしてきています。

まだまだ、色々整理しきれてないから、これからも続くけど、
本当に大きく一区切りです。

そしてようやく喪が明けましたので、通常モードに切り替えていきます。

これからもよろしくお願いします。
 
posted by しゃーしゃん at 16:25| 宮城 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月19日

父の日に。

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今日は父の日でしたね。
皆さんはお父様に何かプレゼントしたりしましたか?

私にとっては、初めての父がいない父の日でした。
なので、何を準備することもなく・・・。

午後になって、石屋に勤める親戚が、父の墓にと石の香炉と花立セットを
持ってきてくれました。

うちはまだ墓を立ててないので、ステンレスの線香皿とプラの花立だけを
置いてました。それで、親戚が3/12に持ってきてくれるはずだったのですが、
ご存知の通り、あの震災が起きたので、無期延期状態に。

その親戚は津波被害にあって、いまだ仮設住宅の抽選待ち。
そんな状況なのに持ってきてくれて、本当に嬉しかったです。

そのため、思いがけなく父の眠る墓に行ってきました。
その時は何も思わなかったけど、「あ、そうだ!今日は父の日だった」と
帰宅してから気がついた。

父の日に、父の墓に行く。偶然ですけど、そんなことができてよかったです。
来年もそうしよう。



そしてうちの夫にとっても父の日であって。

大好きなお菓子をたくさん詰め合わせにして、子供達からプレゼント♪
子供のように喜んでましたよ。

先週、私が出張で不在の初日、母の誕生日だったのですが、
ケーキ等も準備できず、何もなくて寂しいだろうなあと思ってました。
(ちなみに、母へは既に老眼鏡をプレゼント済み)

すると夕方に夫からメール。
母のために、バラの花を30本買ったというではありませんか。
子供達と分けて、10本ずつ渡したそうです。

そういうことがさらっとできる夫です。
職場ではどうなのか知らないですけど。

子供達よ、お父さんからたくさん学んでくださいよ。
 
posted by しゃーしゃん at 22:59| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月08日

自宅到着、そして窓からお帰りなさい。

ゆっくりと安全運転で走り出す。40km以下と思われる。

そうだよね、死体を乗せてスピード出して事故ったら洒落にならん。
それよりも死者に畏敬の念を抱き、静かに丁寧に運ぶというところだろうなあ。

知っている道のりを物言わぬ父と一緒に進むというのは何か変な体験。
そして、車は地元の人しか知らない裏道へ。
何故に幹線道路を行かないのか、その理由はわからず。

そして私は車内から会社の同期女子へ一斉メール。すまぬ、父。
次の日の女子会の幹事は私だけど、もちろん行けないから後はよろしくと。

それとこちらに向かってる妹へも状況メール。

あとは、町内会班長だから、班の皆さんへ訃報のお知らせをして、
町内会長へ伝えるという仕事をしなくちゃならない。
班長が自らの訃報を知らせるってな〜。

それと高校部活仲間との女子会の幹事にもなってて、
こっちは2月の予定だったけどどうするかな。
とにかくあとで連絡しよう。

・・・などと考えているうちに、自宅に到着。

葬儀屋に「布団を用意してください」と言われたので、まずは鍵を開けて、
父がさっきまで寝ていた汚れた布団などを隅に寄せて、
神棚のある隣の部屋に入り、そこの荷物も隅に寄せて、場所を確保。
やはり父を寝かせるには一番奥の部屋(=神棚のある部屋)だろう。

押入れから新しい布団を取り出し、部屋の真ん中に敷く。
掛け布団が必要かどうかわからず、とりあえずタオルを敷いた枕を置いた。
シーツも新品じゃないがどうなんだろう。

玄関から出て「準備できたのでどうぞ」と葬儀屋へ声をかけてから気づいた。

亡くなると玄関から出入りできないのよね。
庭に廻って、窓から出入りするしかないのです。

お父さん。自分の家に帰ってきたのに、もう玄関に入れないよ。
出る時は玄関から出たのにね。

うちの庭へはガレージ脇から行く必要があり、車をよけないと無理。
父の車をガレージから出し、路駐する。

そして葬儀屋さんが父を運んでくれて、窓から入り、布団に寝かせてくれた。
「北枕ですよね?」「はい」 でも枕はいらないようで返された。
父の頭を北向きにして寝かせることそのものが「北枕」なのだね。

敷き布団の上に白いパリッとした厚手のシーツ的な布をかけて、
その上に父は安置されたのだが、「あらっ」と声がする。

父の足先が敷き布団から少しはみ出てしまっていた。
父は170cm程でそんなに高いとも言えないのだが、
まっすぐ体を伸ばすと普通の布団では長さが足りなかったようだ。
本人もびしっとまっすぐに寝るなんてしなかったろうし。
ま、そこはそれなりにいいですよ。今更布団買うわけにいかず。

そしてそれなりな掛け布団がかけられ、顔に白い布もかけられた。
掛け布団は葬儀屋が持ってきたようだ。

と、そこへ妹、母、夫が到着。
妹は最寄駅から歩いてきたようで、病院帰りの二人と同時到着だったようだ。

続く。
posted by しゃーしゃん at 23:25| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月04日

おうちへ帰ろう

葬儀屋が決まったことを係の人に伝えないとと思い、救急室へ戻る。
霊安室に電話があったのだが番号を聞いてなかったから。

エレベーター前に来て驚いた。
地下だと思っていたのに、ここは2階だった!
霊安室は暗い地下とばかり思っていた。固定観念恐ろしや。

1階へ降りて、救急室に入り、係の人にお知らせした。
もうすぐ死亡診断書も書き終わりそうだという。

ところで、さっきから「係の人」と書いているが、
正しい役割(職業)が不明なのでそう呼んでいる。
男性で医師ではないので看護師?技術スタッフ?

霊安室に戻り、程なくすると、係の人と医師がやってきた。
医師は父に向かってお辞儀をし、祭壇に菊の花を一本捧げた。
そして死亡診断書を手渡してくれた。

かかりつけのS病院の医師とのやり取りやカルテ情報などから、
警察も検視の必要なしと判断したそうで、スムーズに書類作成ができたようです。
なので、死体検案書ではなく、死亡診断書となりました。

検視が必要となると、霊安室で更に待たされることになっただろう。
確かに、自宅で心肺停止なら事故か事件の疑いも少しはあるわけで、
検視になってもおかしくはなかったんだよな〜。
死んですぐ警察にあれこれ調べられたらなんか気分悪くなりそう。。

係の人が「葬儀屋が到着したら電話してください」と内線を教えてくれた。

10時半近く。妹から「仙台に到着しそう」とメールあり。
「あとで迎えに行くから最寄り駅で待っていて」と返信する。

すると葬儀屋が到着。係の人を呼ぶ。
父を乗せたストレッチャーが外へ運ばれていった。
どうやら霊安室横にすぐ外側に通じるドアがあるようだ。

私達も続いて外に出る。医師と係の人も一緒だ。
飾りのない漆黒の霊柩車が待機していた。
父はそこに乗ったようだ。

「死亡診断書を持った方が同乗してください」
あ、じゃあ私ですね。

夫と母は病院への支払いを済ませてから帰ることに。
いったいどれくらいの支払いになるのか想像もつかず、
とりあえず私の財布にある一万円を夫に渡した。

前日の飲み会、そして次の日は同僚と新年会のため、
珍しく多めにお金をおろしていたのだった。
ええ、私は所持金1000円以下でも平気な女なので。
でも本当にこの時は持っていて良かったと思った。
残金3000円也。

医師と葬儀屋が見守る中で現金手渡し劇を上演してしまい、
やや恥ずかしかったが・・・。

さて、もう出発です。
医師と係の人に再びお礼を申し上げ、家族3人で深くお辞儀をした。

私は霊柩車の助手席後ろの座席に乗り込んだ。
とても狭くて座席というより、付き添い場所という感じ。
父がすぐ横にいる。手を伸ばせば触ることもできた。

クラクションがやや長く鳴り響いた。

「さあ、うちに帰ろうね」

続く。
posted by しゃーしゃん at 00:18| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月01日

霊安室にて

霊安室に入ると、花が飾られた簡単な祭壇の前に、父は安置されていた。
ストレッチャーの上で、白い布をかけられた状態で。

「今先生が必要な書類を作っていますので、お待ちください。
警察に検視してもらう必要があるか、問い合わせしているところですので」

そして、父が着ていたものと枕をタオルケットに包んだ状態で渡された。
係の人は線香を一本供えて職場へ戻っていった。

そして。

父と母と私だけになった。

生きている人二人と死んでいる人一人。
でも、家族三人。

「なんだい、お父さん」と母は父の顔を見ながら語りかけた。
涙はなく、優しい声だった。
どうしちゃったの、こんな姿になっちゃって。
そう問いかけるしかないよね。

私はずっと心に引っかかっていたことを母に告げた。
「具合悪いって言った時に、やっぱり病院に連れていけばよかったかな」

「今言っても仕方ないから」だったか、「言っても戻らないから」だったか。
母は、「状況が変わるわけではないから、もうそのことは言わなくていいよ」
というような返事をした。

本当に眠っているような顔だよ。

「葬儀するところなんだけど、うちの町の人が多く来ると思うし、
それだったら近くはないけど、わかりやすいH社がいいんんじゃないかと思う」
「うん、それがいい」

近くないといっても車で15分位で着くんだけどね。近いほうは5分位か。
夫の提案は却下。すまぬ。長年ここに暮らしている私達の考えを優先させてね。

夫もまだ来ないし、医師の書類もまだ時間がかかりそう。
父に延々と語りかけるなどはなぜかする気にならず。
次はどんな展開になるんだろう?

ちょっとぽっかりと空いたので、「そうだ」と私は思いついて
ツイッターにアクセスしてつぶやいた。

「先程父が亡くなりました。霊安室にいます」

友人とか同僚とか親戚とか、特定の誰かにお知らせする気持ちにはなれず、
とにかく、世界に対してこの事実を発信したのだった。

そして夫がやっと到着。
葬儀屋を決めたので、夫に手配をしてもらうことに。
まずは父を迎えに来てもらわないと。

続く。



なかなか毎日忙しく、記事更新が滞りがちです。でも書いておきたい。絶対書く。

来週になると、やっとなのか、もうなのか、四十九日です。
今度の週末は四十九日直前ということで、
位牌と仏壇の御心入れ(おしんいれ)(=開眼法要)と納骨をします。
墓はまだだけど、墓地の納骨室はできているので、納骨しちゃいます。

そのこともいずれ書くと思いますが、道のりは長い。
→ 自分で長くしている(笑)

カードリーディングも再開できていません。
お待ちくださってる方、呆れずにお待ちください・・・。
 
posted by しゃーしゃん at 23:35| 宮城 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月25日

親戚への連絡と葬儀屋の検討

夫にはもちろん電話やメールで逐一連絡をしていた。まだ到着しない。

準備ができたので、救急室から霊安室へと移動する。
全身に白い布がかけられたストレッチャーと共に、エレベーターへ乗り込む。
地下へ向かっているようだ。

霊安室内での配置準備などがあるため、同じ階の売店隣の待合室で待つように言われる。
「霊安室にずっと置いておくわけにはいきませんので、
葬儀会社を決めていただいて連絡して来てもらうようにお願いします」とも言われた。

もちろん霊安室専用の待合室ではないので、一般の方々と一緒なのがなんとも。
母を座らせて、父方と母方の親戚に電話をかけることにした。

そこで父のPHS登場。自分のバッテリーが心配だったのと、親戚の電話が登録されていて
使いやすいだろうと思って、アドレス帳とともに持ってきたのだった。

待合室付近の階段あたりで、まずは父の姉(Yおばさん)へ連絡。しかし誰も出ない。
次に母の兄(Yおじさん)へ連絡。2、3度かけ直したがこちらも出ない。
次に母の兄(Hおじさん)の息子(Hおじさんの後見人)のMさんの家へ連絡。これまた出ない。
そういえば、と年末に偶然教えてもらっていたMさんの携帯へ私のPHSから連絡。
あ〜、これまた出ない。みんなどこ行った?!仕事か外出の時間だものね。

ちょっと休憩で母と話す。「どこの葬儀屋にする?」
そんなこと、いつもの生活の中で考えてるわけないよね、皆さんも。
互助会等に加入していれば迷うこともないだろう。
両親もかつて加入していたがずいぶん前に解約したので、
どこにするか早急に考えないといけない。たぶん1時間以内には決めないと。

☆ポイント☆
  親が互助会的なものに加入しているか把握しておくと良い。
  加入を知らずに別の葬儀会社に頼んだらもったいないでしょう。
  ネットで探せば安いとか近いとか色々あるでしょうけど、
  救急車に同乗するのにパソコンなんて持っていかないもんね?!
  だから親の住居近辺の葬儀会社も事前に頭に入れておくと良い。
  一番いいのは生前に親と話し合って決めておくことだけど・・・。普通はしないよねえ。

さっき夫に電話した時にも相談したのだが、
自分の家から近いが、住所的には隣町の最近できたセレモニーホールか、
自分の家から若干遠いが、うちの町の中心にあるみんな知ってる葬儀社にするか。
夫の意見としてはうちから近いほうがいいかも、だった。

母と二人で悩みつつ、親戚への連絡に再度トライ。
Yおばさんに連絡する。今度は繋がった!

「父が今朝急に亡くなりまして・・・今病院にいて霊安室に入るところなんです」
「アラララララ〜!!何だって急に〜。この前会わないでしまったなあ」
ついこの前、父の実家へお年始にでかけた時にタイミングあわなくて会えなかったのだ。

でも、直前に自分の実家(本家)に行けて良かったね、お父さん。
実家には、父と母が親代わりになり世話をしてきた従兄弟がいるが、
私より年上でやっと昨年結婚し、赤ちゃんも生まれたのだった。
従兄弟の両親は早くに亡くなったので、父も心配しており、ようやく安心したところだった。
お年始では赤ちゃんの人見知りが始まり、父のメガネに反応して泣き出し、抱っこできなかったっけ。

その時に、なぜか寿命とか余命の話になり、
父が「俺も半年とか一年って言われてさあ」と軽くカミングアウトしたのだった。
私はそれが言霊になったらやだなとすごく嫌な気持ちになったのを覚えている。

「悪いですけど、あとは実家とか他の方にも伝えてもらえますか。
また家についたら連絡します」とお願いし、電話を切った。

とそこへ、従兄弟のMさんから電話。着信に折り返してくれたのだった。
「家にかけたら誰もいなかったので、携帯にかけました〜。
 父が今朝亡くなりまして・・・」
「アラララララ〜!!それは大変だ!」とやはり非常に驚いていた。
「俺の携帯にはめったに電話がかかってこないから、何事かと思ったら・・・」
「申し訳ないですけど、Yおじさんにかけても繋がらないので、
連絡お願いしてもいいですか」と依頼して切った。

とりあえず親戚代表には連絡できた。他の親戚には芋づる式で伝わるでしょう。
それにしても、人は驚くと、「アララララ〜」と言ってしまうのだと知る。

思ったより待たされている私達だが、親戚に連絡できたから良しとする。
そして、ちょうど係の人が私達を呼びに来た。霊安室の準備ができたようだ。
9時半頃だったかな。まだ夫は来ない。

続く。
posted by しゃーしゃん at 00:08| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月20日

父死去後、最初にしたこと

「お母さん、大丈夫?」

まずは母にこう声をかけるしかない。

「うん、大丈夫だよ」

そうだよね。私もとりあえず大丈夫。だって泣ける状況じゃないもの。
それは嘘みたいだからなのか、そうなるだろうなという予感どおりだからなのか。
いや、「大丈夫」ってどうだと大丈夫っていう判断になるんだ?

「玄関のほうでちょっと学校に連絡してくるね。何かあったら呼んでね」
そう母に言い残して正面玄関脇の電話エリアへ。

まずは次男の小学校へ電話。
「5年2組の(次男)の母ですが、(次男)の祖父が亡くなりまして・・・。
今日は社会見学だったと思うので、帰ってから本人に伝えてほしいのですが」

電話に出たのは教頭先生(女性)だった。
「2組の社会見学は明日ですけど・・・先生は誰でしょう?」

「あれ?K先生です。」(次男に水筒持たせたから今日見学のはず)

「じゃあ1組ですね、確かに今見学に行ってます」

「あ・・・すみません、間違えちゃって(汗)」

次男の組を間違えるなんて混乱してたのか。
でも実はあんまり何組か気にしてないのよね。適当母なので。

「いえ、いいんですよ〜」

「実は子供をすぐに帰らせたほうがいいのか、
それとも全部授業終わってから帰らせたほうがいいのか、迷ってるんです」

「危篤の状態なら別ですけど、もうお亡くなりになっていますし、
家のほうもまだバタバタなさるでしょうから、すぐに帰っても、と思うんです。
それなら授業が終わってから帰宅がいいのではないでしょうか。」

「あ〜確かにそうですね。では授業が終わったらまっすぐ帰宅するように伝えてください」

最初に話せたのが女性の先生で良かった。
優しく親身に接してくれてありがたかった。
「早く帰らせなくちゃ」と思ってた私に的確なアドバイスをくださって嬉しかった。

よし、次は長男の中学校に連絡だ。

「3年1組の(長男)の母ですが、(担任の)S先生は授業中ですよね?」

「はい」(男性の事務の人の声だ)

「・・・というわけで、授業が終わったらまっすぐに帰宅するように伝えていただけますか」

「はい」

うん。非常に事務的な応対だった。事務職員なだけに仕方ないか。
いろんな意味でこっちに先にかけなくてよかった〜。

次に会社へ電話。直属上司は確か東京のはずだったので、部門長へ。
「今日は通院付き添いのために休暇取ってたんですけど、
今朝父が亡くなりましたので忌引きでお願いします。しばらく休みます」

入院してたわけでもなく、突然だったし、やはり驚いていた。
10月に異動したばかりで父のこともあまり話してなかったから当然かな。

やっと母の元へ戻る。まだ呼ばれてないようだ。
仙台へ向かっている妹へメールする。

9:08 「亡くなりました。病院で書類などの手続き中。ゆっくり焦らずに来て」

これでとりあえずはよし。親戚にはもう少しあとで連絡する。

続く。
posted by しゃーしゃん at 22:44| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月18日

父の最期

待つ間、夫から電話が入る。
急いで帰宅したものの、家の鍵も車の鍵も持ってなかったらしい。
ちょっとイライラしてしまったが、まずはタクシーで病院に向かうようにお願いした。

10分か15分程すると、救急室から呼ばれて私と母は中に入った。

父の傍に立つ。周りには心電図の機械など色々と置いてある。
医師が手動のポンプみたいなもので父の口から空気を送り込んでいた。
もちろん父の意識は戻っていない。というか心臓も動きだしたようには見えない。

そのまま医師はこちらに発見時の状況やこれまでの病気の経緯や
いつから具合が悪くなったかなどを聞いてきたので、
私は事細かに思いつくまま説明した。

でも、細かく説明すればするほど、それがこの状況を覆すような何かとは
非常にかけ離れていくように感じ始めた頃、医師も雰囲気を察したのか、
いよいよ本筋の話をし始めた。

「脳がもう死んでいる状態でして、心臓も動いていない状態です。
これ以上救命措置をしても、可哀想だと思いますので・・・」

私も母も迷うことなく、「はい、もう結構です」と自然に返事をした。

医師は手動ポンプをはずして、ドラマのように、腕時計を見ながら言った。
「8時55分、ご臨終です」

それとも「死亡を確認しました」だったかな。覚えてないや。

その瞬間、私達は「お父さん!」と抱きついて泣き伏した・・・わけではない。
案外と涙なんてすぐには出ないものだ。
医師の告知の後には「ありがとうございました」とお辞儀するしかなかった。

「それではこれから霊安室に運びますが、簡単に処置したり、
死亡診断書を書いたりしますので、しばらく廊下でお待ちください」

父は遂にこの世から去ってしまった。
私の中では7時半の時点でそんな状況だったけど、
法律上は、正式には、8時55分を持って、あの世へ行ってしまった。

さあ、これからしなければいけないことがたくさんある。
未知の世界だけど、進まなくちゃいけない。

そう思って、まずはこちらに向かっている夫に電話を入れた。
そして妹へメール。そして子供達の学校へも連絡しなきゃ。

続く。
 
posted by しゃーしゃん at 00:54| 宮城 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

父と再び救急車へ。

心臓マッサージをしながら母と話す。

母が言うには、
「5時半頃に起きて、水飲むって言うから水飲ませたんだよ。
 『トイレ行きたい』って言ったけど起きるの大変だと思って、
 『おむつしてるからそのまましてもいいから』って言って、
 『まだ早いからもう少し寝てなさい』って普通に話したんだよ。
 その時は別に痛いとか変な様子はなくて普通だったから。
 あとは食事の支度とかしてたからよくわからない」

「じゃあ、2時間位の間に止まったんだ・・・」

「それにしても救急車来ないね」
だが時計を見ると10分程しか経過してない。そりゃ来ないか。

心臓マッサージとセットで人工呼吸をすればいいのだけど、
口から血が出ているため、それはやめておいた。

ほどなくして救急車のサイレンが聴こえたので、母は外に迎えに行った。
救急隊員の方が3名来たので、父の病気と状況説明をしてあとはお任せした。
C型肝炎は血液から感染するので、医療関係者には必ず伝えるようにしている。
まあ、隊員の方は元々そういうことも想定の上で仕事しているのでしょうけど。

かかりつけの医者を聞かれ、更に診察券番号も聞かれた。
隊員は、かかりつけのS病院に搬送可能か問い合わせをし、
更に何かの処置をしても良いかのGOサインをもらうのを待っていたりしていた。
かかりつけ医師は外来だったためか、代理で別の医師から指示が出ていたみたい。

AEDとかするのかな〜と思ったけど、普通に心臓マッサージをしていたなあ。
そして私は何かの点滴パックをすぐにできるように高い位置で持たされた。

う〜む。すぐに運ばないで色々やっているが・・。こんなものなのか?

どうやらS病院は一杯で搬送できないため、その近くのSS病院に搬送が決まった。
母にも一緒に行くように声をかけて、カバンなどの準備をさせた。
私は父の保険証と診察券一式、そして何かあってもいいように家の電話帳も持った。

隊員に言われて、父を担架で運ぶために、枕とタオルケットを準備。
8時に父を乗せた担架が家を出て、私は家の鍵をかけて、母と一緒に救急車に乗り込んだ。

車内でも心臓マッサージが続いている。
隊員の一人が「心臓マッサージは今までしたことあるんですか?」と私に聞いてきた。
「いえ、したことはないです。本で見たことがあるだけです。」

なぜそんなことを聞かれたのか、いまだにわからない。
心臓マッサージのやり方がわりと良かったのか、それともよろしくなかったのか、謎。

車内から携帯メールで夫と妹に搬送先の病院を連絡。
携帯メールができる時代にいて、本当に良かったと思った。
救命行為をしている横で携帯いじってていいのか?と一瞬思ったけど、連絡優先にした。

父と初めて一緒に救急車に乗ったのは去年の夏頃だったかな。
あの時と違うのは、母が一緒なのと、父の意識がないことか。

20分程で隣町のSS病院へ到着。
父は救急室へ、私と母は手続きのため、受付窓口へ。
初めての病院なので、保険証を出してカルテを作る必要があるのです。

8時半近くで一般の患者も結構いて、なんか変な感じ。
救急室と同じ並びに普通に外来があるので、
のんびりした患者さん達に混ざって、母と私はじっと呼ばれるのを待っていた。

続く。
posted by しゃーしゃん at 16:52| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月05日

父に救命行為をした日

閑話休題。

着替えて髪を整えて歯磨きをして、7時半になったので化粧は後回しにして、まずは父を起こしに行った。
その後にインスリン注射用の注射針、ヒューマログ、ランタスの残りを確認しないとね。
9時半に病院の予約をしているが、血液検査があるから8時半には入りたい。
でも具合悪いし、ちょっと遅れるかなあ・・・などと考えながら父の布団へ。

「お父さん、時間だから起きて」

ん?何も反応がない。
ちょっと布団をめくって大きめな声でゆすりながら起こしてみる。

「お父さん? お父さん?! お父さん!!」

両目はつぶっているし、普通に寝ている格好だ。
でも左目目じりが1ミリほど開いている?

口元に手をあてて、呼吸を確認する。息を感じない。
次に胸が上下してないか確認する。上下していない。
手首を触って脈を確認。脈が取れない。
これって心臓が止まってるってこと?
手は冷たいけど、胸とかはまだ温かいよ?

台所にいた母を大声で呼ぶ。
「お母さん!お父さん、心臓止まってるみたい!血圧計持ってきて!」

手首に血圧計を巻き、測定を開始するが、すぐに機械が「ピー」といって止まった。
そこに示された文字は「0」だった。血圧0。

「電話持ってきて!」 母に命令ばっかりだ。

119番に電話する。

「火事ですか、救急ですか」
「救急お願いします」
「あなたの名前をお願いします」
「しゃーしゃんです」
「住所をお願いします」
「〜〜〜です」
「電話番号をお願いします」
「〜〜〜です」
「どうしましたか?」
「父の心臓が止まってます」
「すぐに向かいますので待っていてください」
「あの、一応心臓マッサージとかしたほうがいいですか?」
「できるのであればお願いします」
「どの辺を押せばいいんでしたっけ?」
「乳首と乳首の真ん中あたりです」
「わかりました、ではお願いします」

大きく布団をはいで、パジャマをめくって乳首と乳首の間を確認する。
右手の上に左手を重ねてひざをついた状態で体重をかけながら、1秒よりは早い感覚で押す。
救急処置の資料には確かそう書いてあったはずだ。

心臓マッサージをしながら、夫と妹を呼び寄せないと!と思い、
「子供達に言って二階から私の携帯電話持ってこさせて!」とまた母に命令。

心臓マッサージをしていると、なんかタポンタポンと音がする。
とその時、口から血があふれ出てきた。胃に血液がたまっていたのか?
枕と口と頬が血で汚れたので、顔をやや右向きにさせて、タオルで拭いた。
マッサージを続けるとどんどん出てくる。タオル一枚じゃ足りない。
「もっとたくさん浴用タオルでいいから持ってきて!」とまたまた母に命令。
顔の下に多めにタオルを敷いて、マッサージを続けた。

母が携帯を持ってきた。父には悪いが心臓マッサージを片手で行いながら、
まずは夫に電話をかけた。

「お父さんの心臓止まってるから戻ってきて!今救急車呼んだから!」
夫は会社に着く直前だったらしい。

さて次は神奈川に住む妹に電話。通勤電車内かもしれず出てくれない。
片手でマッサージしながら、すぐにメールを打つ。7:42。

タイトル:来て
父心臓とまってる
救急車待ち

ほどなく妹から電話が入る。
「会社最寄駅まで来たけど、家に戻らないでそのまま東京駅に向かうね」
「うん、よろしく」

ああ、あとは子供達に言わないと。学校に行く時間だ。
廊下に出て、二階に向かって叫ぶ。
「おじいさん具合悪いからあとで学校に連絡するかもしれないけど、とりあえず学校行きなさい」

これで全部連絡した。あとは救急車が来るまで両手で心臓マッサージをするだけ。

続く。

posted by しゃーしゃん at 23:55| 宮城 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月31日

不思議なヴィジョンを見た日

1/20(木)朝。

会社に行かなくていいので、6時に目覚ましはかけたけど、少しだけベッドの中でまったり。

毎朝、太陽の光を浴びながら自分なりのお祈りをしているのだけど、
まだ暗かったし寒かったので、とりあえずベッドの中で目をつぶってお祈りをしてみた。
「神様、仏様、守護霊様、ご先祖様、天使様、ハイヤーセルフ様、宇宙、地球よ。
今日も私と私の家族を生かしていただきありがとうございます。
今日も皆様のご開運とご繁栄をお祈りいたします。」

すると、突然千手観音みたいな仏像がヴィジョンとして浮かんできたのです。
たくさんの手があちこち向いてるのではなく、鳳凰が翼を丸く広げているように、
たくさんの手がすべて頭頂部に向かって丸い翼のようになっている状態。

妄想と思われるかもしれないけど、実際に閉じた瞼のスクリーンに浮かんできたので
私にとっては紛れもなくリアルなことなのです。

いつもこんなヴィジョンなんて見えないのに、珍しいなあ。
何かお願い事が叶うのかな?なんて思ったくらい。

6時半頃に起き、シャワーを浴びて部屋に戻ったら太陽がやっと顔を出していた。
7時前だったでしょうか。

ベッドの中でしたお祈りを、もう一度太陽に向かってしました。
「今日一日が家族にとって素晴らしい一日となりますようにご守護後押しお願い致します」

目をつぶっていても太陽の光が当たると温かくて光を感じます。
すると今度もまた別のヴィジョンが見えたのです。

太陽の光の中から、ど〜んとお釈迦様が出てきて、私に向かって来ました。
「え?なんでこんなヴィジョンが?何か本当にいいことでもあるの?」

お釈迦様は連凧(れんだこ)のように、後ろにたくさん繋がっていて、
私に向かってきたかと思ったら、遠くに浮かんでいる地球に向かっていき、
(自分はなぜか宇宙から地球を眺めている位置づけ)
地球を二重、三重にぐるぐると取り囲んでいる。

立て続けに不思議なヴィジョンを見たので、
「今日は何か特別なことが起こりそうだ」と思いながら、
7時半頃まで自分の支度をしていました。

まさか父がその頃息絶えようとしていたなど、知る由もなし。

続く。
posted by しゃーしゃん at 23:22| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月30日

父が亡くなる前日のこと

1/19(水)朝。

会社に出かける前、父はまだ寝ていたので母に様子を聞いてみたところ、
「夜中に2〜3回トイレに起きたし、大丈夫じゃないかな」と言うので、
顔も見ないで家を出た。

この日は何度目かの会社の新年会があり、二次会のバーで飲んでいた21時過ぎ。
うちから電話が入った。長男だった。

「おじいさんがトイレで倒れていて、ドアをコンコンする音で気づいたんだけど。
一応、俺が前みたいにはがいじめして何とか便座に座らせたんだけど、どうしよう」
「意識はあるの?お父さんはまだ帰ってないの?」
「話はできるけど。お父さんはまだ」
「お父さんに電話してみて、どっちが早く帰れるか確認するから。
おじいさんが寒くないように毛布でもかけてあげてて」
「わかった。もうそれはかけてある。」

長男がたまたま風呂に入ろうとして、トイレ付近を通ってSOSに気づいたとのこと。
長男、よく色々やってくれたね、ありがとう。

折り返しで夫に電話。なんと夫も新年会だった。
でももう帰りのバスに乗ってるらしく、夫のほうが早く到着するから、
任せていいよというお言葉をいただき、そのまま私はカクテルを飲み続けた。

しかし一次会でお腹一杯だったのと、父のことが心配だったのもあり、
私にしては珍しくカクテル一杯で終了。23:20の電車で帰宅。

すぐに父の寝床へ行き、「大丈夫?」と声をかけた。
父は「うん、大丈夫」と返事をした。

心配だったのでまた血圧を測定。「ちょっと血圧計らせてね」
確か上が105、下が53位だったので安心した。
昨日からほとんど水しか飲んでないので、あえてインスリン注射をしていなかったのだが
ちょっとそれが心配で、血糖値も計ってみた。確か530位だった。
(※正常値は空腹時で100未満。父は平均200台でたまに500になることもあり)

これはまずいと思い、就寝前に打つランタスをお腹に打ってあげた。
「ちょっと寒いけどごめんね。すぐ終わるから」
下着やパジャマを整えてあげて、布団をかけてあげた。
足には靴下をはいていた。父が寒がるので母がはかせたそうだ。
そういえば、血糖値を計った時、手もとっても冷たいと思った。

「明日病院に行く日だからね。行けそう?大丈夫?」と聞くと、
「明日病院に行けるから。大丈夫だから」と父が答えた。
そう、明日(1/20)は月に一度のかかりつけ病院への通院日だったので、私は休みを取っていた。
明日先生に診断してもらおう、とその時は思っていた。
まさかこの会話が最後の会話になるなんて、想像もしなかった。

父を寝かせて、トイレでの顛末はどうだったのかを夫に聞いた。
どうやら大をしたかったらしいのだが、具合が悪くなったためか
パジャマもトイレも大でぐちゃぐちゃだったようだ。
掃除片付けは夫がしてくれて、汚れた衣類は処分して、マットなどは洗濯。
トイレにこなくてもいいように、手術時に購入した紙おむつをはかせたとのこと。
だからさっき見た時紙おむつだったのか。
なんとか長男と二人で布団に寝かせて着替えをさせたそうだ。
「ありがとうね、お疲れ様」 夫にも長男にも感謝。

続く。
posted by しゃーしゃん at 21:43| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月27日

父が亡くなる2日前のこと。

1月18日(火)朝7:20頃。

子供達は食卓へ、私は会社へ行くために身支度をしていました。
するとなぜか家の電話から携帯へ電話がかかってきた。
不思議に思って出ると長男からでした。

「何?なんでわざわざ電話かけてんの?」
「お母さん?あの、おじいさんが・・・」
どうやら私が既に会社に行ったと思って電話してきたらしい。

すぐに居間へ行くと、居間の窓際でへたり込んでる父がいた。
母が横で父を支えている。
隣の部屋からなぜか壁伝いに歩いてきて、窓際で倒れたとのこと。

手足が軽く痙攣していたが、それもすぐ収まった。
意識はしっかりしているが、動けない様子なので、そのまま横に寝かせた。
寒いので布団を持ってきてかけてあげた。
足が寒いというので、こたつに足だけ入れた状態にした。

子供達には席を移動させ、さっさとご飯を食べて学校へ行くように指示した。

父は右のお腹が痛いらしく、姿勢を変えるのが大変そうだった。
あとは、全身が痛くはないが辛いというか調子悪いとのこと。
母と二人で「う〜ん、痛いっていってもねえ・・・」と軽く受け流す。
元々体調は悪いのだから、調子悪ければ痛くなるのは当たり前。
倒れこんだ拍子にちょっと衝撃がかかったのだろう。
先日まで腕も痛い痛いと言っていたので、まあそんなふうに捉えていた。

ちなみに手術で切ったのは左側。右が痛いと訴えるのは初めてなので
少し心のどこかでひっかかりはあった。

あ・・・今気づいた。違う、切ったのは右だ。
私から見て右側のお腹は父の左側だ!
そうか、ひっかかりはこれだったのか・・・。

あ〜、父の左のお腹を一生懸命私はさすっていたのだった・・・。
でも父は何も言わずに寝ていたよ。本当に痛いほうをさすればよかった・・・。
ということは、やはり肝臓付近に何かが起こっていたのだろう。

間違った側のお腹をさすりながら、ラファエルに父の痛みが取れるように
癒してくれるように、強く祈りました。

父の額が汗ばんでいたので、母にタオルを持ってこさせて、
額と頭の汗を拭いてあげました。冷や汗だったのかもしれない。

そして家庭用血圧測定器で血圧を測ると、上91、下52〜3だったかな。
元々低血圧気味で上が105位なのです。だから少しいつもより低い。
低血圧の人って朝に布団から出るのが大変って聞いてるので、
それと同じ状態で全身がしんどいんだろうな〜と思った。

「血圧が下がってるから、全体的に具合悪いんだよ。上がるまで寝てようね」

そして、ストローで水を飲ませてみる。
「はい、水だよ。口開けて」と言ったらあ〜んと口を開ける父。
いや、それじゃストローであげられないじゃんと思いつつ、
「ストローであげるからね!」と声がけをすると理解した様子。
しっかりと水を飲んだ。

しばらく様子を見て、再度血圧を測ると、上が93と変化していた。
「具合悪いと思うけど血圧上がってきたから大丈夫かな?」と尋ねると「うん」と父は答えた。

倒れた時から一時間ほど経過していた。
動けないけど会話はしっかりできてるし、安静にしていれば大丈夫そうだと判断。
救急車を呼ぶという考えには至らなかった。

あとは母に任せて、私は会社に出勤。
昼に電話をしたら、「寝てるけど大丈夫だよ」と母。安心した。

夜に帰宅すると、まだそのまま居間に寝ていた。
水ばかり飲んでいたが、2〜3回なんとかトイレに行ったし、
夕食はほんのちょこっと食べたらしい。

まだひどそうだけど、それなら大丈夫なのかなと思い、
「ちゃんといつもの布団で寝たほうがいいよ」と声がけして、
私も就寝したのだった。

続く。
posted by しゃーしゃん at 23:59| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月26日

ようやく一区切りです

今日は初七日でした。ようやく一区切りです。

PCメール、ツイッター、ブログなどもようやく目を通せそうです。
メールやコメント、メッセージを下さった方々、すぐにお返事できてないですが
本当にありがたく拝見しています。ぼちぼちお返事させていただきます。

また、1月に入ってからカードリーディング申込をいただいた方へ。
大変申し訳ありませんが、今しばらくお待ちくださいますようお願い致します。
必ずリーディングは致します。確約できませんが、2月に入れば再開できると思います。
揺らいだ気持ちのままでは、しっかりとメッセージを受け取れないと思いますので。
どうぞご了承ください。



いつかは訪れるであろう父の死。それが先週遂に現実のものとなってしまいました。
今後の自分のためにも、家族のためにも、何より父のためにも、
一連の出来事について、出来る限り詳細にブログに残していこうと考えました。

私のことですので、夏休み旅行記並みに細く長く続く記事になるでしょう。
私の気持ちの整理にもなりますし、父の供養とも思ってしばしおつきあいくださいませ。



1月17日(月)。

ほぼ夫と同時に会社から帰宅し、夕食を食べていた時。
父は大好きな水戸黄門を見ながら、夫に話しかけた。

「腕の痛みがほとんど取れてよくなってきたんだ」

12月から謎の左腕ひじ周りの痛みが続いていたのですが、
整骨院に何度か通い、飲み薬と湿布で病状が回復してきました。
それを喜んで、夫に報告したのですね。

もう整骨院に通わなくなって良かったなと私は思ってました。
やっとまた元気になった父。

でもまさか、次の日の朝に体調を崩すとは、
この時点では誰も予想できませんでした。

続く。
posted by しゃーしゃん at 21:51| 宮城 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月21日

ありがとうございます

皆様へ

温かいお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
大変嬉しく受け止めております。

明日が通夜、日曜日に葬儀です。

もう既にみんなかなり疲れてますが、なんとかやってます。

何しろうちで葬儀なんて初めてなので、
何が普通なのか安いのか高いのかわからないまま、
儀式的な段取りも右往左往しながらこなしてます。

父は亡くなる2日前に急に体調を崩し、布団で寝ていましたが、
昨日朝に私が起こしたらもう息をしていませんでした。

五時半に一旦目覚めて、母と普通に会話して、母は水を飲ませたらしいです。

昨日は通院日だったので、私は休みを取ってました。
7時半に父を起こしたら、全く反応がなく、血圧を計ったら計れず、救急車を呼びました。

待つ間、心臓マッサージをしたら、口から血が溢れだしたので、体内で出血したと理解しました。

搬送先の病院での診断は、
破裂または内出血により急激に血圧が下がって、循環器不全ということでした。

父は糖尿病、C型肝炎、肝硬変→肝臓癌でした。
なので、全身が限界に達したのでしょう。

とはいえ、三日前までは普通に生活してましたので、
家族はもとより本人が一番予想外だったと思います。

恐らく、苦しんだ時間はわずかだったのではないかと思います。
それだけでも幸いと考えます。

色々書きたいことはありますが、落ち着いたらまた。
posted by しゃーしゃん at 21:38| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月20日

今朝突然亡くなりました。

初めてお団子作って供えました。

今から忙しくなるから頑張ります。
posted by しゃーしゃん at 14:47| 宮城 ☁| Comment(8) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする